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ペッパーランチ事件等のデマ

 投稿者:令和の人々  投稿日:2019年 5月 1日(水)16時20分59秒
  通報 編集済
  ★「ペッパーランチ事件の三宅正信が創価大学卒」というデマ。三宅は創価大学に入学する学力すら無かった!!

ペッパーランチ事件は2007年5月9日に発生した拉致監禁・強姦事件で、店長の北山大輔(25)と店員の三宅正信(25)の2人が逮捕された。
北山は2000年3月に大阪府立佐野工業高校を卒業後、4社を転々とした後、2006年7月に「ペッパーフードサービス」に入社。約1ヵ月の本部研修を経て店長試験に合格し、同年8月にペッパーランチ尼崎店の店長に就任。そして、2007年3月末に本人の強い希望で同社を退社し、同社と4月から委託経営契約を結んで、ペッパーランチ心斎橋店の店長として働いていた。三宅は、北山とは中学時代からの友人で、同店のアルバイトとして採用されていたという。

「三宅正信は小学4年生から不登校になり、その後は自室に引きこもるようになったのです。三宅正信は中学校にもほとんど通っておらず、漢字を書くことや本を読んで内容を理解することも難しかったそうです。三宅正信は父親が死亡しており、残されているのは母親、姉と2人の兄です。兄は2人とも夜逃げをして音信不通状態だそうです。三宅正信は働きながら一人暮らしをしており、恋人もいました。(略)
ペッパーランチ事件の裁判では母親が証人として出廷する予定でしたが、心臓発作を起こしてしまったため代理として姉が出廷しました。三宅正信の姉は『同じ女性として被害者の方に大変申し訳なく思う』と、涙を流しながら述べたそうです。さらに『父親も母親も弟を甘やかしすぎた、私も文字の読み書きや社会のルールをもっと教えるべきだった』と、三宅正信に対する家族や自分の接し方についても、反省の言葉を口にしていました」
「北山大輔と三宅正信が創価学会員、在日韓国人・朝鮮人だと示す報道や新聞記事などの信頼性が高い一次ソースは出てきていませんので、この噂はデマと言えます」
https://alpy-alpy.net/posts/558


弁護人「三宅被告は小学4年ごろから不登校になり、中学も行かず引きこもっていた。お父さんの名前も漢字で書けない。2人のお兄さんは夜逃げして行方不明。被告は働いて1人暮らしをしていたが、本も読んだことがない。そうですね」
三宅被告「はい」
裁判長「弁護士さん、何を尋ねられたいんですか?」
https://s.webry.info/sp/19730619.at.webry.info/201605/article_10.html

「学校に行ってないので読み書き不自由。取り調べの時両親の名前も漢字で書けない」
https://society6.5ch.net/test/read.cgi/court/1182272700/618

「泉佐野市内の中学校で同級生だった2人は、同市内のゲームセンターで親しくなり、北山容疑者に誘われた三宅容疑者が同店で働くようになった」
http://www.pressnet.co.jp:80/osaka/kiji/hit002.shtml

公明党大阪府議の三宅史明氏は、家族が「妻、一女」なので、三宅正信の父親ではない(三宅正信の父親は亡くなっている)。
http://www.miyake-f.net/profile.html
______

★「山中湖連続殺人事件(宝石商強盗殺人事件)」の澤地(沢地)和夫は学会員で、強盗殺人で得たお金で借金が返せたことを、千葉の支部総会で「功徳です」と体験発表していた、というデマ。

「昭和58年11月、千葉県船橋市・創価学会前原支部総会で、元警察官で熱心な創価学会活動家の沢地和夫は、『入信したおかげで、思わぬ収入を得、借金を返すことができた。大きな功徳をいただいた』と体験発表を行ない、満場の拍手喝采を受けた。だがこの時、沢地和夫は、宝石商と金融業者の二人を殺害し、死体を埋めて隠した上、現金や宝石を強奪していたのだった。強盗殺人で奪った金で借金を返済し、これを支部総会で『創価学会の信仰の功徳だ』と体験発表したのである。この沢地和夫は、池田大作言うところの『会合にも出ない』『教学も勉強していない』という“はぐれ会員”とは正反対の会員だった。沢地和夫は、死刑の判決を受け、確定している。」
(山崎正友著『創価学会・公明党の犯罪白書』[P.41~P.42])


https://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E6%B9%96%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
https://matome.naver.jp/odai/2141818763605770701

※沢地が事件を起こしたのは1984年(昭和59年)10月で、同年11月に逮捕されている。沢地が体験発表を行ったという「昭和58年11月」は事件が起きる1年前なので、山崎正友の記述は矛盾している。
また、下記のことからも沢地が昭和58年、同59年に「体験発表」を行うような状況ではなかったことが分かる。

・大衆割烹店の開店から3年後の1983年(昭和58年)には借金が総額1億5,000万円に膨らみ、同年7月に大衆割烹店は閉店。
・家族に借金取りの手が及ばないようにするため、妻と協議離婚。
・違法な金融業者から逃れるために名字を変え、元警察官という肩書きを利用して千葉に探偵事務所を開設し、そこで寝起きすることで借金取りから身を隠す。
・連帯保証人になってくれた仲間達(警察官)の財産は次々と差し押さえられていった。
https://www.fujitv.co.jp/unb/contents/141211_1.html
https://megalodon.jp/2019-0426-1115-15/https://www.fujitv.co.jp:443/unb/contents/141211_1.html

「前原支部総会で体験発表する沢地和夫」と称した不鮮明な画像がネット上に出回っているが、場所や日時を特定することも出来ず、証拠として用を成さない代物である。
 
 
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